当時、天真爛漫で無垢で無知だった私へ
まず当時の私に言いたいことがある。『絶対にあなたは悪くない。』
留学を終え帰国の週になったある日、現地に住む駐在員に「明日、日本人会であなたのお別れパーティーをしよう」そう言われ、指定された時間にパーティー会場にいくとそこには誰もいなかった。そして、そこで私は日本人駐在員からレイプ被害に遭った。
私の留学していた国はいわゆるみんなが留学先として想像するような先進国ではなく、アフリカであった。留学当時18歳、希望に満ち溢れ、いつかは絶対にアフリカで起業すると決めていた。現地に住む日本人は様々な企業の駐在員や、公的機関で派遣されてきた人たちが多く、留学でくるような学生は本当に年に片手で数えられるほど、もしくは0に近かった。感染症や治安面でも先進国と比べあまり良くなかった環境下の中で、日本人同士の繋がりが非常に強かった。現地では、アジア人でアフリカにくる=お金持ちというような社会通念があり、アジア人であるがゆえに狙われやすかったりもした。それゆえ、普段からまとまったお金を持ち歩くことができない。
しかし、突発的な事故、マラリアにかかった時、頼る人がいないと現地の病院や、お金のことに関してなど。自分で全てを解決することは難しかった。だから、現地の日本人とのコネクションがリスク管理の面で情報共有の面から非常に大事であった。自分の命に関わることだから、私は日本人とのコミュニティは非常に大事にしていた。現地の日本人の方々は娘のように良くしてくれる方もいれば、食事に声をかけてくださる方もいた。私としては、日本人の方々との関係性は、大きな学びの機会であった。アフリカならではのビジネスは何をしているのか、どんな商材だったらアフリカで売れるのか、現地でビジネスをする上で何が大事なのかを、日本では絶対に出会うことがないような人たちに会うことが多く、現地の生の声を学ぶとても貴重な機会でもあった。起業する前に就職を考えていた企業の方もいた。
帰国の間際、お世話になっていた日本人に「留学お疲れ様、最後に僕の家で日本人会のみんなで君のお別れパーティーをしよう」と言われた。単純に私のお別れ会をしてくれることが嬉しかった。現地では、公的機関の人や駐在の方々は、安全を考慮して外出の行動範囲が限られていた。なので、食事などをする際は、もちろん外食もあったが、日本人会界隈でお互いの家でパーティーをすることも多かった。毎週みんなで集まってご飯をしたりしていたので、今回も普通のことだと思っていた。
しかし、当日、私だけが全く違う時間に呼び出されていた。加害者男性はこう言った。「Aさん(お世話になっていた人)との噂を日本人コミュニティにいくらでも流せる」「君は帰国だけど彼はどうなる?噂でAさんは孤立するかもね、仕事にも支障が出るかもね」Aさんを囮にし性行為をするための引き換えの材料として私を脅してきた。
そう吐き捨てたセリフ、勝ち誇った表情、これから大きな獲物を取って食う気持ち悪い息遣い、今でもはっきり覚えている。今までお世話になっていた時の彼とは全くの別人だった。今まで仲良くしてくれていたのは、この為だったのか、とも思えてしまうような豹変ぶりだった。私がここで逃げたら、Aさんを根も葉もない噂で苦しめてしまう、でもこの場で逃げたら殺されるのか、殴られるのか、暴行を受けるのか、もう何が何だかわからなかった。必死で相手を逆撫でしないこと、落ち着かせその場をやり過ごすことだけを考えていた。
でもそんな呑気に考えられるほどの時間はなかった。どれだけやめてください、許してください、お願いします、と泣いても全く相手に届かなかった。彼には、私の声なんか何も聞こえていなかった。ただただ痛かった。そして、避妊もなかった。人生で初めてアフターピルを使った。英語は話せる方だったが、あまりにも性知識がない自分に酷く怒りを覚えた。日本では診察を受け自分の体重や体質にあう薬を処方してもらうのにもかかわらず、診察なしで薬局で購入することのできたアフターピル。怖くて怖くてたまらなかった。服用2日後に生理が来ると記載されていた。日本でのアフターピルは、生理周期がずれないのにアフリカのアフターピルは全く違い、恐怖でしかなかった。でも、それでも、藁にもすがるような思いで薬を使用した。
私は、アフリカの日本人コミュニティが村社会であることを18歳ながら知っていた。誰と誰が何したとか、誰と誰が夜二人で飲んでいたとか、本当にくだらない噂が狭い日本人コミュニティの一部の嗜みだった。だからこそ私のような18歳、女子大生、1年未満の留学者は噂の恰好の的であった。私が誰とご飯にいったかもある程度みんな知っていた。だからこそ、私が帰国した後に、Aさんが根も葉もない噂を流され、日本人コミュニティから孤立させてしまうこと、駐在の期間を私と関わったことによって嫌な気持ちにさせてしまうこと、仕事に支障が出ること、これは絶対的に避けたかった。私とAさんとの間には何もなかったのに、私の年齢やジェンダーが、変なレッテルを貼ることが容易なことかつ、過激にさせる要素であった。大人が複数人で食事していてもよくあることだとなるが、Aさんが私と食事にいっただけで『学生』に手を出す大人とレッテルを貼られること、根も葉もない噂で様々な憶測で物事を語ろうとするあの日本人コミュニティでの酒のつまみになるかと思うと非常に怖かった。
私はその後、PTSDの症状が出るようになった。心はそれを認めたくないと、その記憶にまつわることをシャットダウンをしていたようにも思う。しかし、加害男性の風貌の人を見かけると目が腫れたり、体に蕁麻疹ができたりしてしまった。
一年後、現地でお世話になっていた日本人女性から「○○さんは妻子持ちなのに短期滞在の子、青年海外協力隊、駐在員の友達(旅行者)によく手を出す」というお話を聞いた。実際たくさんの被害事例があり、心の底からの怒りが湧いた。同時に感情はもっと複雑化して死んでいった。加害者への怒り、絶望、苦しみ、悲しみ、男性への恐怖心、ぶつけようのない怒り、何もできなかった自分への怒り、他人に対して信頼も期待も絶対にしなくなった自分への諦め、これがどんどん私を蝕んで行った。
友人に自分の身に起こったことを話したときに、何人かはセカンドレイプをしてきた「自分で招いた結果だ 」といっていた。第三者は何も知らないくせに主観的なくせして、自分が客観的だと信じているように感じた。レイプ神話の誕生を目の前で見るとは思ってもいなかった。身に起こったことを証言しているのに 、なんでそれを否定する権利にこだわるんだろう。誰が認めたくないって一番そんなことされた自分が認めたくないに決まってるのに。やはりここでも自分の感情と心は腐敗し、他人に期待も信頼もしなくなった。そうやって生き延び、複雑な感情を組み立て続けた頑丈のお城にいつの間にか、閉じこもって抜け出せなくなったようにも感じる。セカンドレイプは、私の存在を消し去り、沈黙に追いやってしまうに感じた。私の声と権利をかき消そうとする。この壊滅的状態から立ち上がってようやく 、語るまでどれだけかかったのかはわからないが、周りの支えがあったからこのようにこの場にも記すことができているのだと思う。
性暴力にあって、自分が悪くないと認知できるのに非常に時間がかかった。どこか自分の非を考えて、当てはめていた。しかし、それは、自分がその記憶と向き合うのが嫌で当てはめてしまえば簡単に自分の中で処理できる一種の逃げの手段であったように感じる。しかし、周りの支えによって自分は悪くないということを認知できるようになった。これは、心理的安全性が担保されるようになってから自分と向き合えたからだ。ものすごい時間がかかったが、自分のペースでも向き合えたことは心が少し解放されたように感じる。
最後に、「性暴力」を、「男性VS女性」の問題とみなすのではなく、「暴力をふるう人VS暴力に反対する人」という視点でとら得ていかなければならないと考える。私達ひとりひとりは、「暴力は絶対に許さない」とする文化を創り出していこうとしていかなければならない。
「性暴力」に抵抗していくためには男女の対等な関係づくりが重要である。そして、性自認や性的指向を問わず、様々な人が性的な暴力の被害をうけないためには、すべての人の性的自己決定権や性的人格権が尊重される社会を作り上げていく必要がある。そして、私たちの社会にとってもう1つの大事なことは、「暴力は絶対に許さない」とする文化を創造していくことである。暴力を否定する価値観を根付かせていくことが私たちの社会で大切なことである。そして、被害者が声を上げなければ変わらない社会では絶対にいけないんだ。絶対にそんなの許されない。ひとりひとりがきちんとした人権感覚をもたなければならない。そこにジェンダーも若さも着ている服も何も関係ない。誰しも持ち得る人権に対して敬意を払う。ただそれだけのこと。ただそれだけの当たり前のことができる社会にならなければいけない。
私は、この忌々しい記憶とともに自分の身に起きた被害をここに記す。ある種の自分の中の区切りとして。そして何よりも誰も同じ被害に合わないように、願うばかりの社会ではなく、声をあげ、当たり前の権利が、尊厳が担保される社会に変革されるように。
ps.最後まで読んでくれたあなたへ
- 被害者へ
絶対にあなたは悪くない。絶対に絶対に。着ている服も、お酒を飲んでいようが、関係ない。同意のない性行為はただのレイプだから。
- 被害者の友だちへ
被害者に寄り添っていて欲しい、死にたくなる日もあなたのことを思い出して踏みとどまるかもしれないから。
- 被害者の家族へ
『おかえり』って言って欲しい。留学から立派に帰ってきた娘/息子を誇りに思って欲しい。『おかえり』その一言は誰よりも安心するから、帰る場所があることを再確認させてくれるから。
- 被害者の恋人へ
寄り添って欲しい、そして決して責めないで欲しい。一番あなたへの悲しみと謝罪の念を抱いているから。
(Rさん)